ガリラヤのナザレに住む一人の年若い女性に、天使が遣わされます。「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名づけなさい。」天使から驚くべきことを告げられたマリアでしたが、「神にできないことは何一つない」という天使の言葉に、心に葛藤はあったと思いますが「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えます。不安な気持ちであったろうマリアは、同じく神から恵みをいただいた親類のエリサベトを訪ねます。そして、エリサベトに出会い、彼女から祝福と肯定の言葉を受け取った時、初めてマリアの口から神を賛美する言葉が出てきました。
「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き下ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」マリアは正確に神さまのことを言い表します。マリアの時代、貧しい者と富める者の格差は大きく、権力のある者に富が集中していました。ガリラヤはエルサレムからみて周縁であり、マリアはユダヤ社会において数に数えられない女性でした。しかし、マリアは神さまが自分に目を留められたことから、神さまが貧しい者、虐げられている者の味方であることを知るのです。神さまは弱い者を苦しめる者を裁いてくださる。身分の低い者を高く上げ、飢えた者を良い物で満たしてくださると神への信仰を告白したのです。マリアの賛歌は、当時社会の中で弱くされていた人々の代表する信仰告白でした。初代教会においても、貧しさや身分の低さに身をおく人々に希望と慰めを与えたのでしょう。現代においても、格差の大きいこの社会の中にあって、このマリアの信仰告白に慰めと励ましを得る人々が大勢いるはずです。 〔細井留美〕