これまで、ヨブの従順と懐疑の両方を見ました。本日が最後でヨブの応答です。神は長い沈黙を破って語り始めます。神はヨブの理由なき苦難には触れず、神の創造主の立場を語ります。
第一に、3節に、「知識もないのに、神の経綸を隠そうとするとは」とあります。神の経綸とは、神の計画を言います。神の話を聞いたヨブは、神の登場それ自体が、神の存在を証明することだと悟ります。ヨブは自分に起きた出来事が、神の統治のもとにある、と受け入れました。第二に、6節に「それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」とあります。「悔い改める(ナヘム)」の訳は、他の箇所では大体「慰める」と訳していますが、ここではヨブが歩みを引き返したことを強調した訳です。私は並木浩一さんの訳、「塵灰であることについて考え直します」を読んで衝撃を受けました。ヨブが「自分が被造者として、生きる課題を積極的に引き受ける」と告白しているからです。第三に、トルコ・シリアの地震について、私たちはどう答えて生きるのでしょう。地震から3週間が経ちました。死者は5万人以上に登っています。感動的な救出もありますが、その背後で亡くなる方々を覚えます。なぜでしょうか?神にいくら聞いても答えは返って来ません。疑問を抱えたまま、一生懸命に救助作業を続けます。これから本格的に避難生活・被災者支援活動が始まります。
「祈り」は、私たちをトルコ・シリアの人々に寄り添って、必要な事柄をなしていきます。自分の前に起きる「理解できないこと」に格闘していきましょう。 〔魯 孝錬〕