その夜、人々から蔑まれる存在であり、城壁の外で羊の番をする羊飼いたちのところに、主の天使が近づき、神の栄光が彼らの周りを照らします。まるで彼らの暗い生活に、圧倒的な光が差し込んだかのようでした。
天使が彼らに伝えたのは、イスラエルの民全体の喜び、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」ということでした。民全体の喜びが、社会の最底辺にいる人々に告げられました。また、ここで「救い主」と言われている言葉、ギリシャ語のソーテールは、ローマ世界での支配者を意味しました。ところが、天使がソーテールであると告げた救い主は、支配者とは対極にある布にくるまって飼い葉桶で寝ている乳飲み子であったのです。神さまは私たち人間の固定観念をひっくり返されます。
突然天の大群が神を賛美し始めます。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ」今ほど、地に平和があることを祈らない日々はありませんが、わたしたちが、神の御心にかなう生き方をしない限り、この世界から、戦争や貧困、自然破壊は無くなりません。
羊飼いたちは救い主の誕生を確かめに出かけて行き、飼い葉桶に眠る救い主を探し当てました。彼らは、その光景が天使の言葉通りであることに驚くと同時に、自分たちのために救い主がお生まれになったことを確信します。彼らは、神を賛美しながら、元の場所へと帰っていきます。そこは、城壁の外であり、彼らの状況は変わっていませんが、救い主の誕生という大きな喜びが、彼らの生涯を照らし続け、彼らにつらい状況の中でも生きる希望を与え続けたでしょう。
救い主の誕生は、圧倒的な光が暗闇を照らす出来事でした。神さまは、もっとも救いを必要とする人々に救い主の誕生を知らせ、その人たちに救いを届けるために、もっとも小さい存在として、救い主をこの世界に送られたのです。〔牧師 細井留美〕