2025年1月26日メッセージ「各自の賜物によって」ローマの信徒への手紙12章3~8節

 初代教会は、霊的な熱狂状態で語られる異言や預言を、霊的な賜物と同一視して、それらを信仰のしるしとして重んじていました。それに対して、パウロは霊的な賜物は異言や預言だけではなく、神は各自にそれぞれ霊的な賜物を与えてくださっているのだから、異言や預言を語る者も思いあがることなく、それぞれ自分に与えられた賜物を慎み深く受け止めるよう語ります。
 そして、教会をキリストの体にたとえて、一つの体が様々な部分から成り立っているように、教会の一人一人は、キリストに結ばれている一つの体の部分で、それぞれが教会の働きを担っていると語ります。さらに、パウロは、「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物をもっています」と言い、賜物は、神さまから恵みとして受けたものだから、それぞれ神からいただいている賜物によって、教会に仕えることが大切だと語りました。
 12章1-2節にこうあります。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたは」ここでいう「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」とは、各自がいただいた賜物に応じて神と教会とに仕えることを指しているのであり、これこそが、「あなたがたのなすべき礼拝」なのではないでしょうか。私たちは、神さまによって救いという大きな恵みをいただいた信仰者の応答として、新しい生き方を求められているのです。〔牧師 細井 留美〕 

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