2025年3月16日メッセージ「神は何を見るのか」サムエル記上16章1~23節

私たちは周囲の影響を受けるようになります。いつの間にか、見た目や成績、家庭環境、社会的地位を気にし始め、自分や他人を「外見」や「成果」で判断するようになってしまいます。私たちが生きるこの世界も同じです。しばしば、人の価値を 富、地位、成功、外見で測ろうとします。しかし、聖書は私たちにまったく違う視点を教えています。
イスラエルの最初の王サウルは、神に従わなかったため退けられ、新しい王が選ばれることになりました。神は預言者サムエルをベツレヘムのエッサイの家に送り、次の王を示されました。エッサイの息子たちは、見た目も立派で有望に見えました。しかし、神は「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(16:7)と語り、末の子ダビデを選ばれました。彼は羊飼いで無名の少年でしたが、神は彼の内面を見て選ばれたのです。ダビデはすぐに王になったわけではなく、試練の時を過ごしました。しかし、彼は神の導きを信じ、忍耐をもって歩みました。神の選びには、すぐに結果が出なくても、確かな計画と目的があります。
私たちもまた、神の恵みによって選ばれ、導かれています。私たち自身の力や資格ではなく、神の愛によって招かれているのです。だからこそ、私たちは、外見や内面で人を判断するのではなく、イエス・キリストによって実現された罪の赦しと救いの心によって、出会うすべての人々を見つめるべきです。神は新しいことをなさるお方です。過去にとらわれず、神の導きに信頼しながら、新しい一歩を踏み出していきましょう!  〔宣教師 郭 修岩〕

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