イエスさまは「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」と言われます。イエスさまの愛にとどまるにはどうしたら良いでしょうか?10節に「わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」とあります。イエスさまの掟とは、「互いに愛し合うこと」です。イエスさまは、どのように弟子たちを愛されたでしょうか?それは、ヨハネによる福音書の13章のイエスさまが弟子たちの足を洗う場面に表されています。イエスさまは食事の席から立ち上がると、弟子たち一人一人の足を洗い始めました。足は体の中で、一番汚れた部分です。汚れた足は、私たちの弱さ、足りない部分や、嫌な部分、ダメな部分を象徴しており、それをイエスさまが洗ってくださることは、イエスさまが私たちの弱さを受け入れてくださること、赦してくださることを意味しているのではないでしょうか?イエスさまは、自分の今行っていることを弟子たちが理解できないことをご存じでした。しかし、後で弟子たちが、それを理解するように、つまり、イエスさまの十字架の死によって、皆の罪が神にゆるされ救われることを、理解することができるように、それを行ったのです。人々の弱さを担うために、イエスさまは十字架の死を受け入れました。それがイエスさまの愛です。
イエスさまは言われました「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」。「足を洗い合わなければならない」つまり、それは、お互いの弱さを受け入れ合いなさい、赦し合いなさいということではないでしょうか。イエスさまがまず私たちを愛してくださいました。その愛があるからこそ、わたしたちは、お互いの弱さを受け入れ、赦し合うことができるはずです。 〔牧師 細井留美〕