今日の聖書の箇所では、4つの幸いと4つの不幸が語られます。イエスさまは、言われました。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」自分たちの家や仕事を捨てて、イエスさまに従った弟子たちは、貧しい人たちでした。この世であれば、真っ先に排除される貧しい人々が、神の国に、招かれていると言われるイエスさまの言葉に弟子たちは驚いたでしょう。しかし、励ましと希望にもなったでしょう。そして、これらの言葉は、弟子たちと共にいた民衆に向けられた言葉でもあったと思います。大勢の民衆たちも、弟子たちと同じような境遇であったからです。
後半では4つの不幸について語られます。「しかし、富んでいるあなたがたは不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている。」イエスさまは、富んでいる人々がそれを貧しい人々と分け合わないことを批判しているのでしょう。神を必要とせず、お金を神としている人々は、すでに慰めを受けているのです。
イエスさまは、周縁に追いやられている人々には、憐れみを向けられ、慰めと励ましを語られる一方で、彼らのことを心に留めず、社会の中にある不正義、不平等を正そうとしない人々へは厳しい言葉を投げかけられました。どちらの言葉も、今日の私たちにも向けられた言葉です。私たちが貧困や飢えに苦しみ、また悲しむ状況に居るのであれば、イエスさまは慰めと励ましと希望を与えてくださいますし、私たちが富み、また食べ飽き、幸福な状況にあるのだとすれば、この社会の中で苦しむ人々に目を向けるように、この社会の中にある不正義を正す努力をするようにと、呼びかけられるのです。私たちは、自分たちの幸福に満足するだけではなく、社会全体に目を向けて、共に生きている人々が皆幸いになることをおぼえて祈り、なにかしらのアクションをおこなっていく責任も負っているのだと思います。 〔細井留美〕