パウロは言います。「わたしたちは信仰によって義とされた。」「義とされる」とは、神の前において正しい者とされることです。人間は皆、罪人です。しかし、イエス・キリストを救い主であると信じる信仰によって、人は正しい者とされるのです。
「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光に与る希望をいただいています。」(2節)神さまからの恵みによって救われた者は、未来に対する希望もいただいています。その希望は「神の栄光にあずかる希望」です。その希望を誇りとして生きているとパウロは語ります。しかし、それだけでなく、苦難をも誇りとすると言うのです。
キリストを信じる信仰によって救われるという福音を宣べ伝えたパウロは、あらゆる苦難を経験しました。そのことによって忍耐を身に着け、苦難を経験することで、そこから希望が生まれることを実際に経験したのです。できれば苦難など経験したくはありませんが、神さまの希望は苦難の中で示されることを、私たちはエレミヤ書を学びながら、教えられました。苦難の中でこそ、希望は輝くのかもしれません。そして、神の希望は単なる希望で終わらずに、必ず実現することを私たちは知っています。
私たちには信仰によって与えられた大きな恵みと希望があります。私たちも苦難に直面することがあるでしょう。その時に、神さまのくださる未来の約束を希望として、神さまに信頼して歩んでいくことができればと思います。パウロは言います。「希望はわたしたちをあざむくことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」私たちに神さまの愛が注がれていることを覚えて、それぞれの歩みを歩んでいくことができればと思います 〔牧師 細井 留美〕