イザヤ書55:1の「渇きを覚えている者は、水のところに来るがよい」は、神さまの魂の渇きを抱えた人々への呼びかけです。このころ、バビロン捕囚からイスラエルの人々は解放されました。しかし、長く捕囚の状況にあった人々は、物質的にも精神的にも飢えと渇きを覚えているいました。
異国の地で人々は、異国の神々や他のものを拠り所としていました。しかし、神さまは呼びかけます。「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。」神のもとへ行き、神の言葉に耳を傾ける時、渇き切った魂に命を得ることができるのです。
さらに、神さまは、ダビデとの約束した契約をとこしえの契約としてあなたがたと結ぶと言われました。神さまは、混乱し疲れ切った人々に、バビロン捕囚により一旦途絶えたダビデ王朝の復興を語られ、希望を示されたのです。しかも、それはイスラエル限定の契約ではありません。諸国の民が神さまの立てられる救い主のもとへやってきて、彼を通して神を礼拝するようになると、神さまはご自分の壮大な計画を語られたのです。
9節にこのようにあります。「わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」神さまの語られる言葉、すなわち神さまの救いの計画は、ひとたび語られれば、無駄に終わることは決してありません。神の言葉は必ず実現します。神さまのみ言葉の力に信頼して、新しい一年を歩むことができればと思います。 〔牧師 細井 留美〕