2025年6月22日メッセージ「弱い時にこそ強い」コリントの信徒への手紙二 12章6~10節

 パウロは、自身の苦しみ――「とげ」と呼ばれる痛みについて語ります。彼はそれを何度も主に取り除いてほしいと願いました。しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と答えられました。この主の言葉が、パウロの人生を根底から支えるものとなり、彼は「私は弱いときにこそ強い」と大胆に告白するに至ります。
この力とは、自分で頑張る力ではなく、神が共におられることによって注がれる力です。人は誰しも、病、老い、人間関係、心の痛みといった「とげ」を抱えています。できない自分、足りない自分を責めてしまうときもあるでしょう。しかし、神はそのような私たちの弱さを知っておられ、見捨てず、むしろそこにご自身の恵みを注いでくださるのです。
パウロの信仰は、「苦しみのない人生」を求めることではなく、「苦しみの中にあっても神の力と恵みに支えられて歩む人生」へと導かれていきました。自分の弱さを無理に隠すのではなく、それを正直に神の前に差し出すこと。それこそが、信仰者の強さなのです。
そして、今月6月は「平和を祈る月」でもあります。沖縄戦の記憶と向き合うこの時期、「ぬぅちどぅ宝(命こそ宝)」という言葉が私たちに語りかけます。今も世界では争いや憎しみが続いています。そんな中だからこそ、私たちは「弱いときにこそ強い」と語ったパウロの信仰に倣い、弱さの中に働くキリストの力に信頼して歩みましょう。自分自身のとげに悩みながらも、神の恵みに生かされる日々を、希望をもって歩んでいきたいのです。〔宣教師 郭 修岩〕

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