サムエル記上17章のダビデとゴリアトの物語を通して、現代社会における「恐れ」とどう向き合うかを語られます。私たちは年齢・年収・実績・評価といった「数字」や「世間の基準」によって自分の価値を測られ、知らず知らずのうちに息苦しさを抱えています。これらは現代の「ゴリアト」とも言える存在です。エラの谷でイスラエル軍が巨人ゴリアトの圧倒的な体格や武器という“数値”に恐れていたように、私たちもまたスペック社会の中で自信を失いがちです。しかしダビデは違いました。彼は世間の物差しではなく、「神が共におられる」という確信に立っていました。彼の勇気は特別な能力からではなく、日常の中で神に守られてきた経験から生まれていました。
また、サウルの鎧を拒んだ姿は、「他人の期待」という重たい鎧を脱ぐ大切さを示します。私たちもまた、立派に見える肩書きや完璧さに頼るのではなく、神に与えられたありのままの自分で立つことが求められています。救いは剣や槍ではなく、神への信頼にあるという宣言は、完璧であろうとする私たちを解放します。この物語はさらに、ダビデの子孫であるイエス・キリストの十字架へとつながります。イエスは武力ではなく、弱さと犠牲を通して勝利されました。十字架という敗北に見える出来事の中にこそ、罪と死に対する決定的な勝利がありました。
だからこそ私たちは、自分の弱さを恥じる必要はありません。「この戦いは主のもの」と告白し、重荷を神に委ねるとき、恐れを超えた自由と希望の中へと導かれるのです。
〔郭 修岩〕