メッセージ

2026年5月10日メッセージ「恵みとしての交わり」詩編133編1~3節

 詩編133編は、「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」と歌います。この詩は、エルサレム神殿への巡礼の中で歌われたものであり、分裂や離散を経験してきたイスラエルの民にとって、「共に礼拝する」ということが、決して当たり前ではない尊い恵みであったことを示しています。「見よ」という言葉には、驚きと感嘆をもって見つめよ、という意味があります。異なる背景を持つ人々が共に集い、神を礼拝することは、神から与えられた祝福なのです。
 詩編は、その交わりを「油」と「露」にたとえます。大祭司アロンに注がれた油は、神の祝福が上から豊かに注がれることを示し、ヘルモン山の露は、乾いた地に命をもたらす恵みを象徴しています。また、大祭司アロンは、神への礼拝を象徴します。人は違いゆえに対立や分断を抱えますが、神への礼拝において、互いに結び合わされます。神学者ボンヘッファーは、「キリストを通してのみ人は真に結ばれる」と語りました。人間の理想や努力だけではなく、神の愛と赦しの恵みによってこそ、共に生きる交わりは与えられるのです。
 東京北教会も、多文化共生を大切にしながら歩んでいます。言葉や文化の違いに戸惑うこともありますが、異なる背景を持つ者同士が共に礼拝し、共に生きることは、神さまから与えられた恵みです。分断が広がる時代だからこそ、教会は違いを超えて受け入れ合い、平和と和解を証しする群れでありたいと願います。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」このみ言葉を、私たちの教会においても実現していきたいと思います。                          〔牧師 細井 留美〕 

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