旧約時代に、第二神殿を建設する時に、多くの困難や落胆、恐れに直面しました。その中で、いかにこの働きを継続できるようにさせるか、共に「新しい神殿」について考えてみたいと思います。
第一神殿に比べると、再建する第二神殿は、無に等しいものでした。それで、人々が落胆している姿が目に浮かぶようです。しかし、その神殿がどのように足りなくても、無に等しいように見えても、それは、主を礼拝する場所を造るわざです。「働け、わたしはお前たちと共にいると、万軍の主は言われる」のです。神は3度、「勇気を出せ」と語られ、また神がいつも共にいると、彼らを大いに励ましました。
神殿建築がどのように困難で、手に余るものと思われても、神が共にいてくださるので、それを成し遂げることが出来ます。主は、「銀はわたしのもの、金もわたしのもの」と言われ、すべて必要なものは主が満たされることを示されました。
9節には「新しい神殿の栄光は、昔の神殿にまさる」と書いてあります。この「新しい神殿」をキリスト教では、イエス・キリストご自身とその体として受け止めて来ました。新約聖書のヨハネによる福音書4章を通して、神を礼拝することの焦点は、外的な場所ではなく、心の中の素直な礼拝にあることがわかったのです。イエス・キリストの復活後に聖霊が降り、信じる者すべての心に住まわれるのですから、神が住まわれる真の神殿は、私たち一人ひとりの心なのです。 〔郭 修岩〕