2022年10月16日メッセージ「信仰によって歩もう!」ヘブライ人への手紙11章1~3、8~12、17~19節

私たちの信仰の歩みも、信仰の父アブラハムの生涯と同じように、神様の救いの約束を信じて、その完成を待ち望みつつ生きる歩みなのです。11章1節描いたように、望んでいる事柄、つまりまだ目に見える現実とはなっていない救いの完成を、神様の約束のゆえに信じて、それを待ち望みつつ生きるのです。アブラハムの旅は、目的地も分からず、それを自分で決めることもできない、神様に全てを委ねた旅です。その旅には困難が常に伴いますが、その旅において、常に神様に礼拝し、そこで祝福の約束、恵みのみ言葉をいただきながら歩むのです。約束とみ言葉によって、私たちの信仰の旅は支えられ、力づけられ、喜びが与えられます。

アブラハムは100歳の時に、とうとう神様がみ業によって、男の子を与えて下さったのです。ところがイサクの奉献の命令はアブラハムが「試練を受けた」ことでした。試練する(ペイラゾー)という動詞が、「証明する」という意味で使われていて、時に試練、神の試みという意味で用いられこともあります。その苦難、試練の時は辛くともその機会を通して、私たちは神さまへの信頼をより確かなものとし、神様と自分の距離をとても近づけることにもなっていきます。献げて失うことは、失うことを通して真に得ることへの道です。それゆえに私たちは、試練との戦いの中で、「主の山に備えあり」と確信をもって、これからどんな事にあっても、信仰によって歩むことができるのです。           [郭 修岩]

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