8章の「ユダとタマル」の話は、37章と39章以降のヨセフの話に挟まれています。ユダとタマルの話は、ヨセフの結末がどのように終わるかを見せてくれます。
一つに、25節に、ユダは「彼女(タマル)の方が私より正しい」と言います。ユダは3人の息子がいました。ユダは長男と次男に順にタマルを与えられたが、神の目に悪を行ない殺されました。ユダは三男を保護するため、タマルを実家に帰しました。ユダは友人と出かけ、タマルはやもめの服を脱ぎ、ベールを被りました。タマルはユダに保証として「印象と杖」を要求し、ユダは同意しました。
24節で、3ヶ月後、誰かがユダに「あなたの嫁は売春をした」と言い、ユダは「あの女を焼き殺してしまえ」と言いました。タマルは命の危機に直面します。25節に、タマルは「この品々の持ち主によって、私は身ごもったのです」と言いました。ユダは確認した後、26節に「彼女の方が私より正しい」と言いました。
この話を通じて、神の働きを考えてみましょう。ユダは3人目の息子が死ぬのを恐れて、何とかタマルを嫁に迎えない事を試みます。しかし、タマルはしゅうとのユダを通して子孫を得ました。また、このユダとタマルの話が、ヨセフの置かれた環境がどんどん厳しくなっていっても、神が「共にいる」ことを示しています。
私たちの日常でも主の平和を見出すことが出来ないような事が次から次へと起きます。その現場で、タマルのように懸命に生きていく、ヨセフのように主が共にいる事を信じて歩んで行きましょう。
〔牧師 魯 孝錬〕