2021年12月26日「主をたたえ続ける」 詩編103編1~22節

 

詩編103篇で示されている神の本質は、出エジプト記34章5節と響き合っています。

また神の「憐れみ」は、エレミヤ書34章20節で「神の痛み」に繋がっていることがみえてきます。ハラワタがちぎれるほど傷みながら人間への愛の関わりを諦めない神。その神が、イエスさまをこの世に送って下さったのです。これこそ最も大きな神の愛、憐れみ・恵みではないでしょうか。

イエスは、弱さを抱えた人びとのただ中に、最も厳しい状況の中で生まれました。そして小さくされた人々と共に生き、ハラワタがよじれるほどの苦しみを共に味わい、涙し、憤り、不条理なこの世界・人間の罪に対峙しました。神の愛と憐れみをこの地で具現し生き抜いたのです。ついに十字架の死に渡され、神によって引き上げられ(復活した)ました。今もイエス・キリストは、貧しい私たちの間に、この世界の暗闇のただ中にともにおられ光を灯し続けてくださっています。時と空間、時代と世界を超えて、痛みを伴う神の愛が貫かれているのです。私たちは、この神の愛と憐れみを、日々、どれほど思い巡らしているでしょうか。そして感謝の賛美をし続けているのでしょうか。実際、いつも神をたたえ続けることは、この生きづらい世界に生きていると難しいかもしれません。それでも神を畏れほめたたえることは、私たちすべての被造物を繋ぎ、生きる力、回復の力となることを信じます。

コロナ下が続く一年でしたが、主の恵みを数え感謝します。そして新たな年、辛く厳しい時にこそ、一日一編でも詩編を口ずさみ、神を賛美し続けていきたいと思います。生きる希望、復活の力が与えられ、日々、鷲のように新たにしてくださると信じて。そしてハラワタをかき乱されながら、この世界の「いのち」に向き合い続けたい。ほんの少しでも、憐れみと恵み、怒るのに遅く、慈しみ深い神の愛を、表していく教会・わたしたちへと、変えられていきたいと願い祈ります。「私の魂よ、主をほめたたえよ。」

〔米本裕見子〕

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