2024年10月27日メッセージ「イエスのもとにある安らぎ」マタイによる福音書11章25~30節

 人々は重税と律法によって苦しめられていました。心も体も疲れ切った人々に、イエスさまは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言われました。「休ませてあげよう」という言葉は、人々に希望を与えたことでしょう。
 イエスさまは言われます。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。」「柔和で謙遜な者」は、この時代の支配者や指導者、領主や宗教指導者とは対極にあります。人々から貪ることも、人々を蔑み苦しめることもありません。
 そして、イエスさまは言われます「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」。くびきとは、家畜に畑を耕させる時、農具を家畜に取り付ける横木のことです。農具がついているので、重いはずですが、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」とイエスさまは言われます。他の軛と比較して負いやすく、軽いと言われます。他の軛とは宗教的指導者が人々に負わせた律法の遵守でしょう。人々は、負いきれないほどの律法や規則、義務を負わされ苦しんでいましたが、イエスさまは律法を押し付けません。イエスさまは、神さまの愛と恵みを語って、人々をその苦しみから解放したのです。あなたがたは神さまから愛されている、神の言葉に耳を傾けるあなたがたは神に喜ばれていると。
 「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」とは、イエスさまの近くで、イエスさまの生き方から学ぶことです。「弟子になることだ」と言えるでしょう。弟子はイエスさまの近くで、イエスさまの語られる言葉を聞いて、神さまの愛を知ります。そして、イエスさまのように、その愛に応えて生きることを学ぶのです。イエスさまのくださる休息は、イエスさまの言葉に耳を傾けるところから得られるのです。  〔牧師 細井留美〕 

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