詩編42編には、「枯れた谷に鹿が水を求めるように、わたしの魂は神を求める」との切なる叫びが記されています。渇きを覚える詩人の姿に、私たち自身の心の乾きを重ねることができるのではないでしょうか。
忙しさや不安、孤独、あるいは祈る気になれないと感じる日々の中で、神の沈黙を経験することがあります。詩人もまた、神殿から遠く離れ、礼拝することがかなわぬ状況の中で涙を流し、「お前の神はどこにいるのか」と嘲られていました。けれども彼は、苦しみのただ中で自らの魂に呼びかけます。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ。神を待ち望め。御顔こそ、わたしの救いだ」と。
信仰とは、感情に支配されず、見えない神の真実を信じて歩むことです。「待ち望む」とは、ただ耐えるだけでなく、神の時を信頼して積極的に希望を持つ姿勢です。状況が変わらずとも、私たちは「なおも賛美する」ことができます。涙の中でもなお、神を信じ、神に向かって心を注ぎ出す時、神は私たちに力を与えてくださいます。
今、魂の渇きを覚える方もおられるでしょう。しかし、その渇きの中でこそ、信仰が深まり、神の恵みが注がれるのです。どのような時も「神を待ち望む」ことができるよう、私たち一人ひとりの心が整えられていきますように。私たちも「なおも賛美する」者として歩み続けましょう。 〔牧師 細井留美〕