2021年8月22日メッセージ 「自分の十字架を背負って主に従う」

ペトロはイエスに「神からのメシア(救い主)」だと告白します。弟子たちはメシアとは間違いを正す者だが、イエス
はメシアが十字架上で死ぬと言います。両者には大きなギャプがあります。
第一に、「人の子は排斥され、殺され、復活する」(22節)とあります。この表現はルカで初めて使われています。こ
れは「事後預言」と言って、死と復活を経験して、弟子たちが悟った事が書き込まれています。弟子たちは一人残らず、
イエスを捨てて逃げてしまいました。イエスは十字架で死なれたが、起こされます。
第二に、「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(23節)とあります。「自分の十字架を背負って」とは「
自分を捨て」と「わたしに従いなさい」と同じ意味です。二つのたとえを通して、歩む道でまず腰をすえて考えるように
声をかけます。弟子たちはイエスの十字架から、皆逃げてしまいました。これを経験した弟子たちは徹底的に従う決断を
します。
第三に、「わたしを恥じる者は、人の子が栄光に輝いてくる時に、その者を恥じる」(26節)とあります。ここで「栄
光に輝いてくる時」とは、復活した時を言います。その時には逆転が起きます。そして、イエスを経験した者が、覚悟を
新たにする場面です。失敗してしまった弟子たちは、この失敗を繰り返し思い起こしています。一見厳しい言葉ですが、
失敗した弟子たちを再び立ち上げて下さった言葉です。そのような決断を持った箇所として読みたいと思います。〔魯孝
錬〕

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